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【お別れ体験記】横浜店スタッフ横溝と愛犬はなのお話

2024.10.13

【お別れ体験記】横浜店スタッフ横溝と愛犬はなのお話

2018年8月9日大切な大切な娘、愛犬はなが虹の橋のたもとへと旅立ちました。

12歳を過ぎたあたりから、年に一度の健康診断での血液検査で、腎臓の値が高くなってきていること、心臓の弁が完全に閉じない僧帽弁閉鎖不全症が見つかりました。

日頃の食事は療法食に、おやつも腎臓に負担のかからないものを選び、興奮させないようになど気を使いながらの生活でしたが、それでもよく食べ、元気に過ごしていました。

辛い闘病生活

毎日面会に行き、数値は高いものの下がって来たため、1週間で退院することは出来ましたが、これからは毎日の皮下点滴が必要とのこと。

毎日病院に通うことは困難なため、自宅で私達家族がはなの身体に針を刺し、点滴をしなくてはなりません。私達では先生のように上手に針を刺すことが出来ません。
嫌がり痛がるはなに、ごめんね…ごめんね…と謝りながら針を刺すことに罪悪感でいっぱいの毎日でした。

それでも点滴のおかげか、食欲も戻り、無事に年を越すこともでき、しばらくは落ち着いた日々を過ごしていましたが、2018年5月のある夜、はなが突然痙攣発作を起こしました。何が起きているのか分からず、とにかく夜間の救急病院へと向かいました。

結局原因ははっきり分からず、詳細を調べるにはMRIなど全身麻酔が必要な検査となるため、今の状態のはなには命に危険を及ぼしかねない…

発作を抑える薬で様子を見ることを選択しましたが、その薬の服用を始めてから、再び食欲がなくなり、なかなか食べてくれなくなり…

ある夜、呼吸が荒いことに気付き、また夜間の救急病院へ。診断は肺水腫でした…

治療法は、慢性腎不全の治療とは真逆で、肺に溜まったお水を抜くために、利尿剤で体内の水分をオシッコとして出します。

せっかく腎臓のために身体に入れた水分を、強制的に出さなければならないのです。ここからあっという間にはなの腎臓病は悪化し、弱っていきました。

舌先が壊死し、水分を口から摂ることすら難しくなりました。それでも自力で立ち上がり、自分でトイレに行こうとする。私達家族の側へ来ようとする。まるで「私はまだ頑張れるよ、まだこの家に居たいんだよ」と言っているかのようでした。

お別れ

病院の先生から、あと2~3日だと思う…と言われてから1週間後の夜、家族みんなで見守る中、大きく息を3回吐き、はなは永遠の眠りにつきました。

もう痛い思いも苦しい思いもしなくて良いんだと、その瞬間は正直ほっともしました。

亡くなったその夜は、はなと一緒にベッドで寝ました。

まだまだ一緒に居たかったけれど、夏だったこともあり、翌日にはなの身体とお別れをすることにしました。

棺にはお花をいっぱい入れて、食べられなかったご飯も入れて…

小さな骨壷に入ったはなを連れて家に戻った時、いつもの場所にはなが居ないことに、亡くなってから初めて強烈な喪失感を感じました。

ほとんど寝ていない日々で眠いはずなのに、眠れない…お腹は空いているようでも、食べても味を感じない…しばらくはそんな状態でした。

※Attention※
この先、火葬後のお骨のお写真を載せています。
本来、公開するものではないと思いますが、
皆さまのご供養の参考になればと思い紹介させて頂きます。

今の気持ち

半年経った今でもふと、はなに会いたい、どうして居ないんだろう…という喪失感は拭えません。

でもいつまでも私が悲しんでいると、1週間も頑張り続けたはなのことだから「もっともっと頑張って、まだまだ側に居ればよかった」と心を痛め、心配させてしまいそうなので、笑顔で過ごしていこうと思います。

はなもきっと、私の笑顔が大好きだったと思うから。
はなと過ごした15年間は、私にとっても家族にとってもかけがえのない大切な宝物の日々です。

はなは私達にたくさんの幸せを与えてくれました。はなと出会えて、うちの娘になってくれたという奇跡に感謝しています。

虹の橋のたもとにいつか私が行った時、先に亡くなった愛猫のキョンと一緒に必ず待っていてくれる、また再び会えることを楽しみにしていたいと思います。

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