青森県にお住まいのMT様よりお寄せいただいた
Mダックスフントちゃんとの死別体験記です。Mダックスのキキは2006年1月24日に生まれて3月10日にうちの子になりました。
先住猫のジジとじゃれ合いながら、
お転婆でまさに猫のようにピョンピョン飛び跳ねる活発な女の子でした。
私たちをハラハラさせるくらいに危ないこともしましたが、
7歳になるまで病気ではほとんど病院へ行ったことがなかったです。
7歳に乳がんが発症しましたが、良性との診断でホッとしました。
それからキキの体の変化を敏感に観察し、
些細なことでも気になったら病院へ行くようにしていました。
10歳過ぎてからは、半年に一度の健康診断もしていました。
2019年4月、血液検査で腎臓の数値が高いことがわかり薬を処方されて
そこからは、毎月血液検査をすることにしました。でも、数値は高くなる一方で…
この時に、私はセカンドオピニオンをするべきでした。
数値が下がらないまま、薬を変えたり療法食を変えたりしましたが、9月5日にとうとう激しい嘔吐。
私の仕事中は両親へ預かっていましたので、母からの電話に嫌な予感がしました。
?血の気が引く?って、まさにこのことなんだと思いました。
私は仕事の途中で時間をもらい、キキをいつもの獣医へ連れて行きました。
そこでは手の施しようがなく皮下輸液をするしかなかったのですが、
紹介してもらった大学病院に予約できたのが4日後です。
その間もいつもの獣医で毎日皮下輸液をしてもらっていましたが、嘔吐もするし苦しそうでした。
なんにもしてあげられない無力な自分を責めましたし、『頑張って!生きて!』と祈るしかなくて。
9月9日から、キキは大学病院へ入院することになりました。
車で2時間弱かかる場所でしたが、仕事終わりに毎日面会に行きました。
数値が安定してる日もありましたが、腎不全に加え膵炎と診断されたキキ。
食欲もなく、水もほとんど飲まないのは、私に対するストライキだと思いました。
小さな手に点滴を刺して痛々しいキキを見るのはとてもツラく、
治る見込みがないならせめてキキが大好きなおうちで看取ろうと、
主人とも相談してキキを連れて帰ることにしました。
9月26日、地元の獣医さんに緩和ケアを相談しようと連絡しました。
キキがお空へ帰るまでは、毎日病院へ預かってもらって、私は仕事に通っていました。
一時は、とても食欲旺盛で治ったのではないかと思うくらい元気になったのですが
11月13日9時30分、お空に帰ってしまいました…。
私は仕事が休みでしたが、点滴のために病院へ預けていました。
『ここ2.3日だね…』余命宣告を受けた4日目のことでした。
こんな体になりながらも、当日の朝もトイレシートまで行って用を足したのです。
でも、キキの様子が少し違うことを私も悟りました。
キキを抱きしめて30分くらい、今までの感謝とお別れする淋しさをお話しました。
その日は秋晴れで、朝病院へ出かける時外に出たら太陽がキキの顔を照らし
眩しそうにしていた顔を今でも思い出します。
『今日、ママお仕事お休みだから、帰ってきたら海にお散歩行こうね』って話したのが最後の言葉になりました。
キキを病院へ迎えに行き、『おうちに帰ろうね』って帰ってきてから、
亡骸を抱いて約束の海に散歩に行きました。涙が止まらなかったです。
大学病院から連れて帰ってきたときは『一週間もたないかも・・』と思っていたので
それからの一ヶ月半は、私にとってとても幸せな時間でした。
キ~ちゃん、今までどんな時もママの味方でいてくれてありがとう。幸せをありがとう。
キキはママにとって最大の宝物。ううん、ママの命そのものだよ…
ずっとずっと、永遠に愛してる
■皆さまのエピソードをお聞かせください■
投稿は【こちら】から
- 048-662-9204
-
LINEで24時間無料相談
QRコードを読み込み、ご連絡ください。
店舗で無料相談